「このお汁粉(しるこ)屋さんは、わが家です」。大正時代に建てられた東京都中央区新富の元和菓子店を取り上げた「ニュースあなた発井筒屋お汁粉食べた人いませんか」(東京新聞4月23日付朝刊に掲載)の記事を読んで、この建物で家族と暮らし、店の手伝いもしていた小柴浩さん(88)=東京都立川市=が連絡をくれた。その記憶をたぐると、お汁粉の味とともにかつての店の姿が浮かび上がってきた。(鈴木里奈)
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現在の井筒屋=東京都中央区新富で
「お汁粉、売っていましたよ。どちらかというと、串団子の方がよく売れていたから、『お汁粉屋』と書いてあったのにびっくりしましたけど」。4月の記事では、「井筒屋」の外観の雰囲気を残しながら改修した建築家が、お汁粉の再現を目指していることを紹介した。小柴さんは本紙の読者。新聞をめくっているうちに記事が目に飛び込み、驚いたそうだ。
生まれてから1962(昭和37)年に結婚するまで、店舗上の住居に住んでいた。記事では「約3年前に女性が転居して空き家となっていた」と説明。この女性は、小柴さんの姉の絢子さんで、現在、中央区の別の場所に住んでいるという。
さて、お汁粉の味は―。小柴さんによると、店ではみたらしやあんこの団子を売っていたといい、「団子に使うあんこをお湯で緩くしてお汁粉にしていた」。お汁粉には「焼いたお餅が二つ入っていた。こしあんを使って、甘さは控えめ」だったという。
井筒屋の思い出を語る小柴浩さん=東京都立川市で
店は、関東大震災(1923年)のころには既にあったと父親から聞かされた。午後10時まで営業し、小柴さんも小学校から帰ってきて店番をした。店の前には角テーブルや丸テーブルが置かれ、向かいにあった新富座で活躍していた松竹歌劇団の踊り子たちが、休憩時間や稽古後にやってきてはお汁粉を食べていったという。「俳優の神田正輝さんの母、旭輝子さんもよく来ていた」と懐かしがった。
店構えのスケッチが描かれたテレホンカードも残っていた。そこには今はない陳列棚やひさしが描きこまれていた。漆塗りのばんじゅう(運搬容器)には、金文字で「新富座井筒屋」と入っていたと記憶。母の実家が福島県会津若松市の漆問屋だったので、「そこで作ってもらったのかな」と思いをはせた。
井筒屋のスケッチが描かれたテレホンカード=東京都立川市で
井筒屋を事務所兼ギャラリーにリノベーションした建築設計会社「ザ・デザインラボ」代表の建築家板坂諭(さとし)さんは、記事をきっかけに、捜していた店の関係者とつながることができた。「小柴さんの話を基に、来年の春ごろには大正時代をイメージしたお汁粉を作りたい」と意気込んでいる。
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