東京・中野駅前で、ひときわ目を引く巨大な三角形のビル。中野のシンボルとして区民らに親しまれてきた「中野サンプラザ」は1年前、工費高騰のあおりを受け、再開発見直しに追い込まれた。半世紀に及ぶ「三角形」の歩みを振り返るとともに、計画白紙の経緯を追った。(足達優人、中沢誠)

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中野サンプラザが開館したのは、石油ショックでトイレットペーパーなどの買いだめ騒動が広がった1973年。労働省(現厚生労働省)の外郭団体が、地方から上京した若者向けの福祉施設「全国勤労青少年会館」として開業した。
勤労会館時代は、上京組のために仕事や悩みの相談コーナーや故郷への無料電話を用意していた。

中野サンプラザのステージに立った(左から)美空ひばり、松任谷由実、郷ひろみ=いずれも資料写真
地上21階建て、高さ92メートル。館内には図書館や研修施設、職業相談所、結婚式場、レストランやホテルなどが併設された。1~4階に入るホールは、地元の成人式や入学式、卒業式の会場になった。
「サンプラザ」という愛称は、「若者に親しまれる施設に」と一般公募で決まったものだ。
インパクトのある三角形のビルは、後に日本建築家協会の会長も務めた建築家林昌二氏(1928~2011年)が設計した。
中野区立中央図書館がまとめた冊子「中野駅周辺の歴史~サンプラザ編」によると、...
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