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「第五福竜丸」負の歴史を語り継ぐ展示館50年 悲劇の船をどう守る? 「核のない世界へと航海中」信じて

Jun 6, 2026 教育 IDOPRESS

1954年に米国の水爆実験により太平洋で被ばくした遠洋マグロ船「第五福竜丸」の船体を保存する東京都立第五福竜丸展示館(江東区)が、10日で開館50年を迎える。23人の元乗組員は、ほとんど亡くなった。「第五福竜丸は核のない世界へと航海中」。半世紀を経た今も、多くの修学旅行の子どもたちや海外旅行客らが訪れる中、3人の学芸員たちはそう伝え続けている。(神谷円香)

第五福竜丸静岡県焼津市を出港し太平洋で遠洋マグロ漁をしていた1954年3月1日、米国がビキニ環礁で行った水爆実験に遭遇し被ばく。久保山愛吉無線長が半年後に亡くなった。国が引き取った船体は東京水産大(現東京海洋大)の練習船に改造され「はやぶさ丸」に改名。1967年に廃船し解体業者に払い下げられた。保存運動により都が計画する夢の島公園内に展示館建設が決まり、船名も戻された。船体は第五福竜丸平和協会が都に寄贈した。

◆開館50年で約600万人以上が来館

第五福竜丸展示館を見学する、山形県の中学生たち=東京都江東区で(芹沢純生撮影)

「60年前、ここはごみ捨て場でした。その中にこの船は捨てられていました」。5月下旬、事務局長の市田真理さん(59)が修学旅行で訪れた山形県の中学生たちに解説した。現存する木造船としても貴重な船を、生徒たちは「思ったより大きい」と見つめた。

第五福竜丸は被ばく後に国が引き取り、放射能検査で安全を確認後、名前を変えて使われた。木造船の寿命で廃船になると、エンジンなど使える部分が売られた後、ごみ処分場だった東京の埋め立て地・夢の島に放置された。「核廃絶の象徴に」という市民らの保存運動を当時の美濃部亮吉都知事も支持。都が展示館を建設することが決まった。

1976年の開館以来、昨年度までの来館者数は約614万人。年間400校以上の小中高校などが見学に訪れる。「ベビーカーを押した親子連れも、高齢者も来る。公園内の無料施設だからこそ。何か知らないで入ってきた人たちが、真剣に見て『へえ』となる。そんな光景を見てきた。それが大事」と市田さんは語る。

◆「世界の核被害を扱う拠点にしていきたい」

管理運営のために設立した公益財団法人第五福竜丸平和協会が、都からの委託で展示館を守る。2001年、現在は協会の専務理事も務める学芸員の安田和也さん(73)が加わり、案内や解説を担う有志を集め「ボランティアの会」を発足した。「3人だけじゃできない。プラス応援団でやっている」と安田さん。近年は学生のインターンらも発信に協力する。

第五福竜丸展示館・学芸員の(左から)蓮沼佑助さん、市田真理さん、安田和也さん=東京都江東区で(芹沢純生撮影)

学...

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