都知事選の期日前投票所で票を投じる有権者=21日、新宿区役所で
7月7日に投開票される東京都知事選は、約1153万人によって選ばれる国内最大規模の選挙だ。1947年の初選挙から数えて今回で22回目。個性豊かな候補者たちが刻んだ選挙戦の歴史を振り返る。
史上最多の56人が出馬した今回、ポスター掲示板の枠が不足する事態となったが、もともと都知事選には多くの候補者が名乗り出る。立候補者が10人以上だったのは今回で15回目だ。
これまでに立候補したのは今回を含めて延べ314人で、大半が男性。女性は今回の7人を合わせて延べ20人にとどまるが、今回、有力候補の2人が女性なのは都知事選の歴史では目新しい構図だ。
はね返されても、繰り返し挑む人もいる。立候補回数の最多は、今回も出馬した発明家のドクター中松(中松義郎)氏(96)の8回。銀座・数寄屋橋でのつじ説法で知られ、59年から87年にかけて連続で立候補した大日本愛国党総裁の赤尾敏氏の記録と並んだ。当選すれば、任期中に100歳を迎える。
最多得票は、2012年に当選した猪瀬直樹氏が獲得した433万票。国政選挙を含め、国内の選挙における史上最多得票記録だ。一方、最少得票はまさかの「ゼロ票」。東京五輪前年の1963年、「橋本勝」なる人物が出馬。立候補受け付け後、届け出の際に、既に亡くなっていた橋本勝氏の戸籍が使われていたことが判明し、都選管は「投票無効」と決定。得票はゼロになった。
2007年の都知事選でガラス張りの選挙カーの中に座る黒川紀章氏=新宿区で
戦いぶりが記憶に残る候補者も多くいる。建築家の黒川紀章氏は2007年、大きな円形のガラス窓から車内の様子が見える選挙カーを走らせ、都政の透明化を訴えた。1975、79年に立候補した美術家の秋山祐徳太子氏が唱えたのは「政治のポップアート化」。ポスターをはじめ全ての選挙活動を芸術活動の一環と位置づけ、異彩を放った。
1991年の都知事選後、「爽快な気分」と感想を語った内田裕也氏=銀座で
今回、候補者56人の政見放送(一部は経歴のみ)はNHK総合テレビだけで計約11時間に及ぶが、政見放送で話題になった候補者といえば、91年に立候補したロック歌手の内田裕也氏。ジョン・レノンの「パワー・トゥー・ザ・ピープル」を歌い、英語で演説した。2011年から4回出馬したマック赤坂氏(19~23年に港区議)は、スーパーマンや天使などに扮(ふん)して「スマイルしてますか?」と問いかけた。16、20年には、ある候補者が突然衣服を脱いだり、卑猥(ひわい)な言葉を連発するなどし、音声の一部が削除される出来事もあった。
候補者の乱立に伴い、今回もまた「異例」の選挙戦が展開されている。過去21回の都知事選で、現職が負けたことはないが、今回はどうなるか。決めるのは、有権者一人一人の意思だ。
選挙戦を勝ち抜き、戦後、都知事に選ばれたのは9人。官僚、学者、国会議員、タレント、作家ら多様な経歴の持ち主が並ぶ。
1991年の都知事選で4選を果たした翌日、車から支持者にあいさつをする鈴木俊一氏(屋根の上の中央)=新宿で
1999年の都知事選に向けて行われた「候補予定者に政策を聞く会」で有権者の質問に答える鳩山邦夫氏(中)ら=永田町で
厚生次官などを経て初代に就いた安井誠一郎氏、医学博士で2代目となった東龍太郎氏に続き、1967年、経済学者の美濃部亮吉氏が「東京に青空を」と公害対策を掲げて当選。初の革新都政となった。鈴木俊一氏は副知事などを経て4代目に就任。最長の4期16年を務め、都庁を丸の内から新宿に移転した。
1995年の都知事選で当選後、都市博会場予定地の臨海副都心を視察した青島幸男氏。この後、都市博中止を決断した
1999年の都知事選で花壇越しに握手を求められる石原慎太郎氏=八王子市で
直木賞作家でタレント出身の青島幸男氏は公約に掲げた「世界都市博覧会」の中止を断行した。6代目は芥川賞作家で衆参両議員を務めた石原慎太郎氏。大手銀行への外形標準課税(銀行税)導入やディーゼル車の排ガス規制を推進したが、国政復帰のため4期目半ばで辞職した。7代目で作家の猪瀬直樹氏、8代目で国際政治学者の舛添要一氏はともに「政治とカネ」を巡る問題で辞職。石原氏から3代続けて任期途中での交代劇となった。
文・山下葉月/写真・中村真暁、河口貞史、淡路久喜
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