
正面玄関の上には「中央会堂」の文字があり、歴史を今日に伝える=いずれも文京区で
夏目漱石の小説「三四郎」のラストは、主人公の小川三四郎とヒロイン里見美禰子(みねこ)の別れの場面。三四郎は、美禰子が教会から姿を見せるのを、その前で待ち続ける。当時「中央会堂」という名であった本郷中央教会(文京区本郷3丁目)だ。三四郎の学んだ東京帝国大(現東京大)とは、目と鼻の先にある。
中央会堂は1890(明治23)年創立。前年に大日本帝国憲法、90年に教育勅語が発布され「キリスト教は、『国体』に反するものではないかという批判に常にさらされながら、活動を続けていくことになる」(本郷中央教会百年史)。キリスト教徒にとっては困難を極めた時期であり、天皇署名がある教育勅語に最敬礼せず、世論から攻撃された内村鑑三不敬事件は、翌91年に起きている。

教会について話す牧師の米山恭平さん(左)と教会オルガニストの池田ゆかりさん
なぜ本郷に中央会堂は建てられたのか。帝大や女子高等師範学校(現お茶の水女子大)に近く「日本のリーダーになるような人たちに、キリスト教の精神を持ち、国の中心に行ってほしいと願ったのでしょう」と牧師の米山恭平さん(43)。
そんな「日本の中枢に存在する天幕(テント)」という意味から中央会堂と名付けられた。天幕は、旧約聖書「出エジプト記」に書かれている、神と会見する幕屋(聖所)に由来するが、1923(大正12)年の関東大震災で焼失した。
29(昭和4)年に再建された聖堂は45年3月10日に東京大空襲に見舞われる。百年史は「火が地面をはって来るし、熱と煙で呼吸困難になり、多くの死者も出ました。近隣の逃げ残った者全部が教会堂に、やがて集まりました。婦人、病人、老人、子供等が多くいました」と伝え、被災した約700人を収容したとある。

本郷中央教会の正面。尖頭アーチが施され、左側に5階建ての鐘楼が立っている
聖堂は、てっぺんのとがった尖頭(せんとう)ア...
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