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6歳で空襲、失った足先「お国のためにけがした。それを認めて」 被害者・遺族の癒えない心…ただ望むのは

Mar 11, 2026 教育 IDOPRESS

東京大空襲から81年の3月、全国の空襲被害者の救済法案に注目が集まっている。元軍人らには今も恩給だけで約600億円(2024年度)支給されているが、民間人にはない。死傷者の正確な数も分からず、身元不明の遺骨も膨大な数に上るが、実態調査や一時金支給を行う救済法案は提出されないままだ。世界で空襲が続く今、先の大戦の傷痕を抱える被害者は何を思うのか。(橋本誠)

◆1945年7月24日の昼間、疎開先の津に米軍機が来襲

「中指と薬指の間に爆弾(の破片)が入った。中指はちぎれないで、ぶらぶらしてたそうです」

津空襲で負傷した右足を見せる男性

津市で空襲に遭い、兵庫県に住む男性(86)が、右足の靴下を脱いでくれた。足先が切り取られたように無くなっている。

「これが小指やて言われてますわ」と示すが、形は残っていない。感覚はあるが、痛みやかゆみはないという。靴を履けば傷痕は見えないが、歩くときはつま先が折れ曲がり、足を引きずる。

負傷したときは6歳の幼稚園児。母親、妹と大阪市から津市に疎開していた。1945年7月24日の昼間、いとこらと近くの海岸で遊び、祖母宅に戻った後に米軍機が来襲。家の前の防空壕が水浸しで、家族ら8人は近くで布団をかぶって地面に伏せた。

◆「足ぬくうなってきた」布団を取りのけると、右足が…

爆撃の瞬間は、音も光も何も覚えてない。後(のち)に、40~50メートル先の水田に爆弾が落ちたと聞いた。痛みも感じず「第一声は『おかあちゃん、足ぬくうなってきた』だったそうです」。布団を取りのけると、右足が裂けていた。穏やかで優しかった祖母は、心臓を貫かれて即死だった。

空襲で焼け野原になった津市中心部。男性は中央の「津観音」付近を通って幼稚園に通っていた=太田金典氏撮影、津市教育委員会提供

学校のような所にかつぎこまれた。軍医はひざから切断すると言ったが、母親は「このくらいなら助かる」と考え、逃げた。母子3人はその後、津市郊外の野田地区の一家に住まわせてもらった。近くの医師に診てもらい、足を切らずに済んだ。「全く赤の他人なのに、ほぼ半年ただ飯を食わせてくれたんですよ。あんな時代に」と今も感謝する。

大阪に帰って小学校に入学したが、駆けっこは参加できず、運動会は見ているだけだった。プールのとき、母親が足先が見えないように袋をこしらえてくれた。「『カバーするか』って。いじめられるかも分からん思うたんやろ」

◆「子どもがけがしているのを見ていられない」

「人目を気にしてきた80年」と振り返る。ゆがんだ靴先を周りに気付かれないか。引っ込み思案で消極的になり、就職の面接でも口ごもった。入社したメーカーにも、けがのことは定年まで話さなかった。

「本来の性格か、けがをしたコンプレックスか分からないけど、空襲が関係していると思ってる。戦争は憎んでます」

1000人以上が亡くなったあの日の空襲。米軍資料によると、曇天のためB29爆撃機から目標の軍需工場が見えず、次の目標の津市街地に爆弾を落とした結果だった。現在もミサイルや無人機に形を変え、ウクライナ、ガザ、イランで続く空襲。「ニュースが流れたら、消します。自分を思い出すし、子どもがけがしているのを見ていられない」

学生のころ、元軍人に補償があるが、民間人にはないこと、運動している空襲被害者がいることを知った。距離を置いていたが、数年前、救済法の制定を求めている全国空襲被害者連絡協議会(空襲連)を知り、被害者同士のつながりを求めて電話した。

関連団体の会報に「苦労かけましたとわびてほしい」と書いた。「大阪の父親の町工場も金属供出で機械がなくなり、大阪空襲で燃えた。踏んだり蹴ったり。少なくとも戦争うれしい言うてやった人は頭下げてほしい。軍人も政治家も財界人も」

◆空襲の被害を「国民に知ってもらうだけでもええ」

「戦争でけがしたことを...

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