
飛行場の軍事施設が桑畑として描かれた地図などが並ぶ展示会場=立川市で
現在の東京都立川市に相当する地域に太平洋戦争末期に残された公文書から歴史をたどる企画展「軍都立川の前線と銃後」が、同市の砂川学習館で開かれている。20日まで。軍事施設などが広がり、1945年に米軍から10数回の空襲を受けた立川市域の被害の様子などを紹介する。(藤原哲也)
立川市域では1922年に立川飛行場が建設され、陸軍の専用飛行場となってからは周囲に軍事施設や飛行機関連の軍需工場が集まり、「軍都」として発展した。会場には44~45年ごろに立川市や旧砂川村に残された約30点の公文書資料のパネル写真を中心に展示する。
44年に立川市長に出された「東部第一三三三一部隊」からの進駐通知は、軍事機密を守るため部隊名が通称名だったことが分かる。正式名称は「第二六特設警備工兵隊」だったという。また、40年の立川飛行場の地図には軍需工場が描かれていたが、44年の地図には桑畑として描かれ、重要な施設は偽って...
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