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第一次世界大戦後のパリで活躍した版画家の“黒”の表現世界に浸る「町田市立国際版画美術館所蔵 長谷川潔展――パリに生きた銅版画家の軌跡」|ぐるり東京

Jul 30, 2026 製造 IDOPRESS

長谷川潔《時静物画》1969年、メゾチント、町田市立国際版画美術館蔵

失われつつあった版画の古典技法を研究して


オリジナルな表現に至った作家!


ところで銅版画ってどんなもの?

銅版画にはメゾチントという古典技法がある。これを独学で復活させたのが、日本を代表する版画家のひとり長谷川潔だ。町田市立国際版画美術館が誇る「長谷川潔作品コレクション」を初めて同館以外で観られる本展。多様な技法を尽くした繊細な美を堪能したい。


父母を亡くし、若くして東京で木版画をスタート

長谷川潔の銅版画作品を知る人にとっては、そのイメージは、漆黒の背景に浮かぶ花や鳥、オブジェなどのどこかしら幻想的な静物画ではないだろうか。けれども実はそうした表現に至るまでの歳月は長い。

本展では、日本にいた若い日の作品から、渡仏後の模索、交流し影響を受けたヨーロッパの作家の作品、フランスでの活躍、そして最後の作品までを、日本を代表する版画専門美術館である町田市立国際版画美術館所蔵品を中心として展示する。長谷川潔作品に限っても約130点。つまり長谷川潔の生涯を、画業の全貌を概観できる展覧会なのだ。

長谷川潔は1891年に横浜で富裕な銀行家の家に生まれた。父は趣味人で、茶や書画、骨董などに親しみ、潔も幼少期から絵を描いて上手かったらしい。しかしわずか11歳で父、17歳で母を亡くす。きょうだいも次々と失いながらも、多くの友人を得、美術の研鑽を積んでいった。日夏耿之介、西條八十、北原白秋……、多くの仲間たちがいた。

日夏耿之介が創刊した文芸誌にはペン画のイラストも描いた。だが当時の印刷技術では微妙なタッチが再現できない。そこで描線がはっきり出せる木版画に変えた。版画家・長谷川潔のスタートはそこからだ。

当時からあった丸善書店の洋書部などに足繁く通い、多くの画集など購入しては探究を続けた。オディロン・ルドン、ウィリアム・ブレイク、エドヴァルド・ムンク、ヴァシリー・カンディンスキーなどのどこか神秘性を帯びた作品にも大いに刺激を受けたようだ。日本に来ていたバーナード・リーチなどから銅版画の初歩も教わった。

というところまでが本展での序章。やはり本場に行って本格的に学ぶべきだと考えた長谷川は、1918年27歳の時にフランスに旅立つ。

フランスに渡り、古典技法を探究して独自の刷新へ

《思想の生れる時》 1925年、ドライポイント、手彩色(雁皮紙刷り)、町田市立国際版画美術館蔵

渡仏当初は5年ほどの滞在計画だったそうだ。ぜん息持ちで身体の弱い長谷川はアメリカ経由の約5か月の船旅で体調を崩したうえ、パリ市内の住宅不足もあって、暖かな南仏に向かう。そこで約2年間を過ごし、技術の吸収にいそしむ。

第1章「銅版画の研鑽―古典技法の発見と刷新」では長谷川の探究の足どりを観ていく。

銅版画には多様な技法がある。基本的には銅の板に彫った溝にインクを施し、プレス機で紙に印刷するわけだが、溝の作り方がいろいろあるのだ。技法が違えば、できあがる作品の雰囲気も変わる。

まずはエングレーヴィングという技法。ビュランと呼ばれる彫刻刀で銅板をじかに彫り削る手法だ。何点かの「裸婦像」など観れば、どこか手の温もりを感じさせる。

ドライポイントは専用の針(ニードル)やナイフで銅板を縦横に引っ掻く。削りカスや金属のまくれにもインクが着くため、柔らかいにじみなども出る。作品《思想の生れる時》や《フローラ》の表現のやさしさにも、技法の魅力を感じる。また《水浴の少女と魚》では、後年のどこか不思議な画面構成を思わせるような兆しがある……。


そして長谷川が復興したのがメゾチントだ。黒の微妙な階調が表現の中心となるため、フランス語では「マニエール・ノワール(黒の技法)」とも言う。これは銅板全体に櫛状の歯をもつ道具(ベルソー)で傷をつけて、インクを施せば全面が真っ黒になるようにしたうえで、必要な箇所を削って白っぽく浮かび上がらせる手法。もともと油彩画の複製に使われ、当時のフランスでは既に廃れていた。誰に聞いてもやり方はわからない。しかし、その黒にはビロードのような美しさがある。ひとり古い書物などを読み込み、更に独自のやり方を加えて新たな技法を編み出した。初期作が《教会の道(サン=メーム)》や《南仏古村(ムーアン=サルトゥー)》だ。それらの7年後の作《シャトー・アルヌーの寺院》に至れば、さらに黒の柔らかさが際立つ。

《二つのアネモネ》 1934年、アクアチント、町田市立国際版画美術館蔵

もうひとつアクアチントという手法でも長谷川独自の工夫がある。元来、銅板に松ヤニを振りかけて腐食液に浸すことで溝を作る方法だ。展示されている《二つのアネモネ》などの4作品は、レース布の白い柄が背景になっている。使われた版・レース布の断片も展示されているが、どうやって柄を白で表現できたのか、それば複雑なプロセスがある。レースを使用した作品は5点しか現存していない。それほど難しいものだったのだ。

フランスの画家との交流と活躍の日々

《オランジュと葡萄》 1932年、メゾチント、町田市立国際版画美術館蔵

しばしば孤高の版画家と言われる長谷川だが、芸術家仲間とは深い親交を結んでいた。第2章「パリの版画界―画家たちとの交友」では、パリで活躍し始めた若い日の長谷川作品と、仲間の画家たちの作品が並ぶ。

まだ無名だった1921年、長谷川はモンマルトルのココーズ画材店で、木版画やリトグラフで注目されていた画家ラウル・デュフィとたまたま知り合って意気投合し、交流を深めた。デュフィの友人画家・版画家にも知己が広がった。長谷川は1923年、サロン・ドートンヌに版画と油彩画を出展し、パリ画壇にデビュー。そしてデュフィの招きで「独立画家=版画家協会」に加わり、1924年から同協会の展覧会に参加するようになった。

独立画家=版画家協会は、エングレーヴィングの名手ジャン=エミール・ラブルールとデュフィが立ち上げたグループで、会員はマリー・ローランサン、マルク・シャガール、アンリ・マティス、パブロ・ピカソなど錚々たるもの。若い駆け出しの長谷川が招き入れられたのは、その技量や表現が彼らに認められたということだ。

『竹取物語』 《「貴公子たちの求婚」の章 挿絵》 1927-34年(1934年刊)、エングレーヴィング、ドライポイント、町田市立国際版画美術館蔵

この章では協会展への出品作が楽しい。《金魚鉢の中の小鳥》《クリスマスの木靴》《オランジュと葡萄》など、後年のどこか幻想的な味わいを持つ静物画の片鱗が見える。そして注目したいのが仲間の画家たちの版画だ。ローランサンやマティス、ピカソ、シャガールらによる黒と白のみの表現は、それぞれの個性がはっきりと表れ、見応えたっぷり。また、長谷川による油彩作品も見逃せないところだ。

第3章「『竹取物語』―フランスで刻まれた日本の美」は、コーナー自体が越前和紙に囲まれて淡く光る特別な空間になっている。ここに展示しているのは7年の歳月をかけて完成させた仏訳『竹取物語』の挿絵だ。1920年代から30年代前半には数百人の日本人画家がいたパリで、西洋の技法×日本の美意識を持つ存在として藤田嗣治と並んで称賛を得ていた長谷川は、この挿絵本に情熱を注いだ。日本から取り寄せた最上級の和紙に、西洋の銅版画で表現した平安朝の美である。けれども構図や人物の顔などは絵巻調というよりもどことなくモダン。やけに長いまつげのかぐや姫も微笑ましい。

新たな覚醒を経て“ノワール”の美へと回帰

《一樹(ニレの木)》 1941年、ドライポイント、町田市立国際版画美術館蔵

戦争の足音が近づいてくる中、多くの日本人が帰国した。しかし長谷川は残り、制作を続けた。1939年に第二次世界大戦が勃発すると、一時はサルト県の知人宅に身を寄せ、またドイツ占領下のパリで創作にいそしむ。経済は混乱し、彼自身も困窮した。

そんなある日、画題を求めてパリ近郊を歩いていた長谷川は大きな啓示を受ける。1本のニレの木が、燦然と光を放ち「ボン・ジュール!」と語りかけてきたというのだ。長谷川も「ボン・ジュール」と答えた。その樹木の表面の凹凸も、よく見れば人間の目鼻のように意味がある。波長を合わせれば交流もできる。万物は本質的に同じ。そう悟った。


第4章「自然―白昼に神を視る」は、こうした戦中・戦後の作品で構成されている。啓示を得て以来、長谷川の作品はドラマチックに変化していく。ものへの対し方が変わったのだ。彼は自然のかたちを克明に表現するようになった。1945年には敵性外国人として収容所に一時収容されて苦しい日々を送るが、戦後に創作を再開すると、きめ細やかな観察眼で、象徴性の強い植物や静物を細密に彫る。高い技術力あってこそできることには違いないが、対象物との交信を重ねる行為でもあった。

《コップに挿した野花》《野辺の月》《開かれた窓》などの作品を見れば、確かに戦前の作品とは雰囲気が違う。独特の緊張感というか精神性というべきか。ニレの木を描いた作品も必見だろう。

“白昼に神を視る”とは長谷川自身の言葉である。若い日に憧れたムンクやルドンの如くに神秘を表現するのに神秘的光景を描く必要はない。万物それ自体が神秘を宿しているのだ。

《狐と葡萄(ラ・フォンテーヌ寓話)》 1963年、メゾチント、町田市立国際版画美術館蔵

そして1950年代後半、長年にわたってエングレーヴィングやドライポイントの技法を主としていた長谷川は70代を目前に、自身が復興・刷新に力を注いだメゾチントに回帰する。幼少期には書に親しんだ長谷川にとって、油分でてかてか光るインクの色は満足できない。メゾチントによる黒の階調の揺らぎに東洋の墨色を求めたのだ。第5章「静物画―マニエール・ノワールの宇宙」では、それら晩年期の作を展示する。ファンなら誰もが知っているであろう“ザ・長谷川潔”な作品群である。

漆黒からグレー。その濃淡のなんとふくよかで豊かなこと!各作品が放つ静謐さと神秘性、構図の堅固さにも圧倒される。《アカリョムの前の草花》では花瓶の花の横を魚が泳ぐ。《コップに挿したアンコリの花(過去・現在・未来のサンボル)》では咲く花・萎れた花が時を表わし、小さな巻貝も置かれている。細密な具象として描かれたすべてがなんらかの象徴性を帯びているのだ。《ジロスコープのある静物画》《時静物画》《飾り棚のオブジェ》など多くの作に登場するモチーフでも、例えば独楽は永遠の回転、人形は人間存在のはかなさ、小鳥は自身の魂を表わしているそうだ。

想像で描くことはない。デフォルメすることもない。すべて現実に存在するものを細密に描く。会場にはアトリエに残されていた狐の玩具やペーパーウェイト、骰子独楽なども展示されている。これらをモチーフに使った作品と見比べられるのは面白い。

展示は最後の作品である1970年の《横顔》で終わる。チャイナドレスを着た女性の姿だ。人物の肖像は彼の作品には珍しい。しかも他の作のような写実ではなく、まるでからくり人形のようにも見える。これで最後となったのは、1920年代から作品の刷りを担ってきたカミーユ・ケンヴィルが1971年に亡くなったからだ。80歳になっていた長谷川は、新たに他の刷り師と組むことは考えなかったのだろう。

フランスでは生涯を通して評価が高く、多数の勲章なども受けてきた長谷川だったが、日本で一般に知られるようになったのは1970年代頃からだ。1980年に89歳で逝去。当初5年間のつもりだった27歳での渡仏以降、一度も帰国することはなかった。

長谷川は戦乱や困窮を経てもその地にしがみつき、自分の表現を追い続けた。なんでもない静物のようでいて観る人の心を引き込みざわめかせる不思議な作の数々は、その歳月の精華なのだ。

版画でこその表現力、本当に素敵!


長谷川さんの人生をたどりながら、


まとめて作品を観られる機会は貴重だわ

町田市立国際版画美術館所蔵 長谷川潔展 ――パリに生きた銅版画家の軌跡


会期:7月11日(土)~9月23日(水・祝)


会場:パナソニック汐留美術館


〒105-8301 東京都港区東新橋1-5-1 パナソニック東京汐留ビル4階


開館時間:10:00~18:00(入館は17:30まで)


※8月7日(金)、9月4日(金)、9月18日(金)、9月19日(土)は20:00まで開館(入館は19:30まで)


※8月29日(土)~9月23日(水・祝)の土・日・祝日は日時指定予約をお願いします(平日は予約不要)


休館日:毎週水曜日(ただし、9月23日は開館)8月10日(月)-8月14日(金)


観覧料(税込):一般1,200円、65歳以上1,100円、大学生・高校生700円、中学生以下無料


問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル)


https://panasonic.co.jp/ew/museum/


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